#13 教師の多様性

「人のために生きるのはやめよう。私達はこれから!私達のために生きようよ!!」
(『進撃の巨人』諫山創)
一昨日と昨日は、このブログのプロフィールの設置のことで、時間を湯水のように使ってしまった。
ブログの方向性についてAIさんに相談したところ、
「ブログの特徴を活かすようなレイアウトになっていない」とか言われた。
つまり、「専門性がある読み物で、世界観がそれを支えている」という特徴があるのに、
ただの日記というレイアウトのままであるために残念なことになっている…ということらしい。
それで、とりあえず、プロフィールで自分について書いた方がよいと言われとりかかった。
プロフィールは、世界観を大切にした本文。あれこれ考えた後、プロフィールを設置してみた。
だけど、文章の改行などのレイアウトが崩れたりして、どうもうまくいかなかった。それで、
サイトのテーマ(人間でいうところの本体)を変えたり、
テーマのスキン(人間でいうところの服装)を変えたり。
ウィジェット(人間でいうところのアクセサリ)をつける位置をいろいろ変えたり。
htmlやらCSSやら(人間でいうところの…(略))を追加したり。。。
挙げ句の果てに、満足のいく仕上がりにはならなったという。はあああ。
性格的に、「やるとなったらとことん」という私。
逆に、自分の興味がないことは、本当にやりたくないし、やるとしても超テキトーに済ませてしまう。
一見真面目そうに見えし、何でもちゃんとやりそうと見られている(多分)が
他人が見ていないところでは、実は、結構いい加減なことをやっていたりする。
ところで、日本語教師に向いている人とか、向かない人とか、そういうのってあると思いますか?
まあ、一般的なイメージで私について適正判断するなら「向いていない人」かもしれない。
何より、人と話すのが好きではない(笑)友達と呼べる人もほとんどいない。
日本語教師のイメージって「屈託がない人」「誰とでもすぐ友達になれるようなキラキラした人」
「常にエネルギーを発していてバイタリティ溢れる人」「ボランティア精神がある人」って感じ、
みなさんありませんか?こう書くと、私って真逆じゃん(笑)
これまでの経験でそういう先生、いたことはいたけど三人に一人くらい?じゃないかな?
冷静に考えると当たり前のこと。世の中そんな理想的な人ばかりなわけはない。
はずなのに、なぜか、日本語教育の現場では、特に教師の多様性って認められていない気がする。
「学習者はみんな違ってみんないい」みたいな寛容な振る舞いをする一方で、
「教師はこうあるべき」とか「教え方はこうすべき」を他者に求める教職員、とても多い。
やっぱり教育に関わる人って教条的な人が多いからかなあ。
思えば、私もそうだったかもしれない。他人に対してそういう態度だったというのも思い当たるし、
その一方で、頭の中で勝手に創り上げた「理想の教師」と自分を勝手に比べて落ちこむという…。
でも、ある時期から、「こんな自分だからこそできることがある」と考え方を変えることができた。
いろいろな国で生活して、人の多様性というものがわかったからかもしれない。
その後、日本でいろいろな人に出会って、改めて「日本人も教師もいろいろ」だとわかった。
だから、今はもう、変な理想や幻に惑わされたりはしていない。
それでもダメダメな自分であることには変わりはないけど、自分らしく頑張っていこうと思う。


