#23 学習者と教師の関係

「これは持論だが、躾に一番効くのは痛みだと思う…今お前に必要なのは
言葉による「教育」ではなく「教訓だ」」 (『進撃の巨人』諫山創 )
みなさんは、学生と友達付き合いしたいと思いますか?
これは、私が養成講座を受けていたときに講師から受けた質問。
日本語教師になりたい人が集まるところだったので、「YES」の答えが多かったかな?
まあ、どちらにも手を上げないというのが、日本人だと一番多いのは当たり前として。
この質問に対して私は「NO」に手を挙げた。ちょっと勇気が必要だったのを覚えている。
イマドキは、考え方の多様性が認められているし、二者択一でなくてもいいと思う。
「NO」の私だって、できれば学生とも、同僚とも仲良く平和にやっていきたいと思う。
けれども、今も、その答えには「NO」の立場だし、そのほうがいいと考えている。
以前の上司で、尊敬すべきすごい人がいたが、その人も同じ意見で嬉しかった記憶がある。
その理由。それは、学生には厳しく接するべきだと思うから。
人付き合いが苦手で八方美人になりやすい私は、友達になると厳しいことが言えないから。
「じゃ、無理して厳しく接しなくてもいいのでは?」という意見があるかもしれない。
だけど、日本語学校での多人数の相手では、どうしても厳しくならざるを得ない場面がある。
休み、遅刻、勉強しないならまだいい方で、自己都合で他人を振り回す学生がいるし(怒)
これは、教師や学生に原因があるのではなくて、学校に原因という面もある。
「学生はお客様で、学校と教師はサービスを提供する側」という考え方や、
「教師というものは、学生の事情や気持ちに寄り添う存在であるべきだ」という考え方。
わたしからすると、このような雰囲気がある学校は、ロクな学校ではない。
そんな雰囲気が、逆に、教師個人が必要以上に厳しくならざるを得ない状況を作っている。
素行が悪い学生を受け入れた責任は、学校にあるのだから、教師が面倒を見る必要はない。
もちろん、受け入れ後にそうなることもあるだろうが、これもやはり学校の責任。
卒業後の進路を決めるのは学生本人のこと。学校は情報提供と書類作成の補助まで。
宿題しない、勉強しない、遅刻する、休むのも、結局は学生自身の将来の問題。
教師がすべきなのは、教室内のことだけ。教室の秩序を保つ存在であればよい。
学生と教師と学校の責任範囲を上記のように切り分けている学校って、あるのだろうか?
あれば、ぜひ私をそこで働かせて欲しい。それこそ、コマ給が安くてもいいから笑
厳しいことを言う場面がなく、「ドライな人」程度でいられるような教育環境が理想だ。
話が大きく逸れたが、仮に、私が思う理想の教育環境だったとしても、
やはり、教師は学生にとって厳しい存在であるべきだと思う。友達関係はダメ。
なぜなら、教育には、考え方を押し付けて指導するということがどうしても必要だから。
人には「信念」「ビリーフ」というものがある。教師にも、もちろん学生にも、誰にも。
その本人が正しいと思ってやっていることは、他人が容易に変えられるものではない。
熟達者から見てよくない考え方や行動を、未熟者は得てしてしてしまうことがある。
例えば、漢字を覚えるために同じ字をひたすら書き続けるという非効率的な勉強法など、
教師から見て愚かな考え方や行動を、学生というのはしてしまうものなのである。
教師の仕事には、「教育」という名の、他者に行動変容を求める行為が含まれると思う。
少なくとも日本語の勉強という範囲では、学生に行動変容を求めるべきだと私は考える。
もちろん、強制的な矯正は必要はない。学生が受け入れるかどうかは、両者の関係次第。
私にとっての、学生からの最大の賛辞。それは、「厳しい先生だけど、やさしい先生」
私は学生とそんな関係を築きたいといつも思っている。


