#32 「は」と「が」の授業

「壁の外で人類が生きてると知って…俺は、ガッカリした」(『進撃の巨人』諫山創 )
『日本語教師として抜きん出る』という現代人文社からという本をご存知だろうか。
海老原峰子の(2020年)に出版された本なのであるが、これに私は衝撃を受けた
地動説を信じていた者が天動説の存在を知った時ほどの衝撃と言えるかもしれない。
今私が作っている日本語学習サイトも、学習項目の提出順など大きく影響を受けている。
その中でも、長年ずっと抱いていた違和感が払拭されたのは、「は」と「が」の説明だ。
みなさん、「は」と「が」を取り上げて、学生に説明をしたことがありますか。
少なくとも、日本語教師になってしばらくは、恐ろしくてそこに触れることはできない。
学生から質問があっても、「その説明は今の君たちには理解できない」と逃げるだけ。
けれども、ベテランと呼ばれるぐらいのころから「そんなに難しい?」と思い始めた。
難しいのは、その分野の大御所の先生が書いた文法書の内容が難解なのであって、
学習者にとっては、そんなに難しいことではないでしょ?と思うようになった。
もちろん、使い分けのミスはするだろうけど「だいたい」であればそんなに難しくない。
だけど、某有名初級教科書では「は」「が」の授業は、あえてするようになっていない。
私自身は、「は」「が」の授業は、初級前半の終わりぐらいからがいいと思っていた。
連体修飾文がこなせるぐらいのレベルになって、それを作文で使えるぐらいの時期。
やり方は、以下のように、至ってシンプル。
「だれが だれに なにを V」のような文を示して、
文頭に持って行った要素の助詞を「は」に変更するという、ただそれだけ。
なぜ文頭に移動させたときに「は」になるのかの理由は、それがトピックとなるから。
特別な状況でなければ、日本語文は通常、今から何について話すかを示すのが基本。
それでも、そういう教え方をし始めたのは、日本語教師になって10年目ぐらいから。
そのぐらいの時期からは、「は」と「が」から逃げたいと思うことはなくなっていた。
ところが、先に挙げた本の目次の中にはショッキングな見出しがあって、例えば、
・「〜は〜が」構文は単なる妄想
・自己破産している考え方
など、これまでの日本語学で常識とされている考えを真っ向から否定している。
たいていこういうのは「釣り文句」なのだが、読んでみると、まさに目から鱗だった。
「おかしい」と思いつつも、権威に飲まれて思考停止していた自分が恥ずかしく感じた。
あと、この本ではなかったかもしれないが、「は」と「が」の使い分けという幻想は、
そもそも、構造的に「わたし【が】それをする」の【が】を【は】で言うような、
そんな文ばかりを初級の第1課からずっとやり続けることで生まれる幻想なのだという、
そこにも、もっと衝撃を受けた。まさにその通りだと思った。
このことを知ってからは、「は」と「が」という考え方がナンセンスであると思うし、
「は」とは何かということは、入門第1課から示すべきと思うようになった。
もちろん、それを入門者に日本語で説明することはできない。
できれば、学習者自身の母語で理解できるような説明があるのが望ましいが、
実は、「は」についてそんなに難しい説明はいらないのだ。
「日本語は、話の初めに何について話すかを示す、話題先行型の言語だ」これだけ。
あとは、「私はそれをする」だけではなく、「それは私がする」などの言い方も
入門初期に多く提出して学生に慣れてもらうような構成にすればいいだけのことだ。


