#44 自信がない人へ:自信って何?

「エレンって、巨人が怖いと思ったことある?普通はみんな巨人が怖いんだよ。
僕なんか…初めて巨人と対峙した時、まったく動けなかったんだ…」(『進撃の巨人』諫山創 )
「自信がない」「自信が持てない」という悩みは、どんな人も抱くものである。
そういった悩みは、「何かに挑戦したい」「やらざるを得ない」という時に生まれる。
そんな時、「失敗したらどうしよう」とか「自分には能力がないのではないか」と思い、
人は自信を持てなくなる。つまり、自信の有無とはそういった「心の状態」である…と、
多くの人は思っているのではないだろうか。
だけど、私は違うと思う。自信とは、文字通り「自分を信じること」だと思う。
つまり、自信が有る無いという心の状態ではなく、自分を信じるという行為だと思う。
理屈では無い、自分の心の声に耳を澄まして、その声を信じる行為が「自信」なのだ。
多くの人は思考の中で、「できる自信がない」といって躊躇し、結果を恐れる。
また、或る人は「自信がある人・無い人」は生まれ持った性格だと思い、あきらめる。
このような「悩み」は、人間としては自然なものだ。
だけど、その悩みの中で立ち止まっていても、状況はあまり変わらない。
だけど、自信を「自分を信じること」とすると、全てが一変する。
心の声が「Stop!」と言うのであればやらない、「Go!」と言えばやる…となるし、
自信がある他人を見るのではなく、自分の心の声に耳を傾ける…が重要となる。
この考えは、実は、私の人生の中の失敗と成功、そして選択から来ている。
学生時代、私はフランス語学文学を専攻し、将来は大学講師になろうと思っていた。
だけど、当時の語学環境では、フランス語の習得など凡人に成すことなどできず、
その一方で、フランス語で書かれた難解な小説を読み解くという演習を受けていた。
これに私は違和感を覚えていたが、その違和感が何かもわからなかったし、それに
当時の社会の情報量では、直感を言語化(←こんな言葉もない)できなかった。
結果、私は何も成さないまま大学を去ることとなった。
そして、その10年後、私は日本語教師養成講座を受講することを決めた。
父の会社で働き安定した暮らしをしていたが、「これではいけない」と決意した。
すると、養成講座の内容は、学生時代の私の違和感を見事に払拭するものだった。
「第二言語習得」という学問体系がそこにあったのだ。
もちろん、私の学生時代には、それをすでに考えている人が多くいたのだが、
私はその人たちの研究に辿りつけなかった。自分を信じていなかったから。
そしてその学問は、私がぼーっと生きていた10年の間、磨かれ続けていたのだ。
養成講座では、日本語教師になるための知識、授業方法などの指南を受けた。
だけど、それだけで一人前になれるほど甘くはないことはわかっていた。
私は教官のところへ行き、「教師になる自信がない」と泣いて相談した。
すると、教官は言った。
「ここに自信がある人がいるように見えるの?それは経験不足だからよ。
自信があるとかないとか言う前に、やってみてから考えなさい。」
実際、私にはもう退路がなかったし、やるしかなかったし、やってみたかった。
日本語学校でのデビューは散々だったし、1,2年ほどは地獄のような日々だった。
それでも、「今、辞めたら何も残らない。」と自分を俯瞰的に捉え説得した。
5年経ったころ、また、私の心の中で叫ぶ声が聞こえた。「これではいけない」
私は海外へ行き、また一から日本語教育のやり直しという苦労を背負い込んだ。
そんなこんなで日本語教師として20年を迎えた今はどうか。
「心の状態」を言うなら「自信はある」。自分の領域の中でなら負けはしない。
それは過信かもしれないけど、そんなことはもう、ぶっちゃけ、どうでもいい。
私は今、自分の日本語学習サイトを作って生活の糧としようとしている。
はっきり言って、怖いし、不安は募る。油断するとネガティブな気持ちになる。
けれど、私の心の声は「やれ」と言っている。だから、私はそれを信じる。
なぜなら、それが、私にとっての「自信」だからだ。


