#49 「コンサル」VS「養成講座」

「何も捨てることができない人には、何も変えることはできないだろう」(『進撃の巨人』諫山創 )

「日本語教師になりたい人のためのセミナー」という宣伝広告の投稿。
まあ、私などはそんな投稿は華麗にスルーして終わりなのだが、最近、SNSでよく見かけるのは、
「怪しいコンサルに申し込むより手堅く養成講座にどうぞ」という論調。
一見、もっともな意見に思えるが、私からすると、これはこれで、違和感を覚える。
その理由は、養成講座を出てから日本語学校勤務というキャリアパスのほとんどがワープア必至であるからだ。

現在の日本語教育業界で教師として勤務している者のほとんどが、あり得ないくらいの低賃金低待遇で働いている。
にもかかわらず、「それは仕方のないこと」とか「教師は人に尽くしてナンボ」という考え方が蔓延している。
それゆえか、「稼げる」を謳い文句にするコンサルを批判する投稿はよく見るが、
日本語教育業界の搾取の横行に対して物申す投稿は、私が見る限り、それほど多くない。

ところで、日本語教育の世界では、知識が豊富で、経験が長く、資格や肩書きを持っている人が高く評価される。
そんな価値観がごく自然なものとして受け入れられている。
もちろん、教育に専門性は必要だ。私もそれを否定するつもりはない。
しかし、その価値観の中で、同僚や同業者同士が知識や経験を競い合っている間に、日本語教育業界は、
教育をビジネスとして捉える才覚を持つ学校経営者たちに主導権を握られてしまったのではないだろうか。
その結果、「やりがい搾取」という言葉が生まれるほど、この業界のビジネスモデルは定着してしまった。

業界が拡大する中で、私たち教師がすべきだったのは、努力に見合う対価を得られる仕組みづくりだった。
それなのに、相変わらず、知識や経験、資格を拠り所とした議論ばかりに終始してきたのではないか。
私は、教師たる者、日々向上心を持って教育知識やスキルを磨くべきだと思っている。
しかし、同時に「どうすれば教師がその献身に見合う対価を得られるのか」を考えるべきだったと思う。

とすると、オンライン日本語教師向けコンサルが台頭した間接的な一因は、
実は、自らの教育理念を守ろうとする一方で教育を持続可能な仕事にすることを後回しにしてきた
日本語教育業界の風土だと言えるのではないだろうか。

オンライン日本語教育というものがコロナ禍を境にぐっと成長してきたわけだが、
実は、この新世界においても、教師という現場プレイヤーは、プラットフォームという仕組みに囚われている。
ただ、違う点は、「仮に上手くやれれば」日本語学校で得るよりも多くの収入が得られるし、
そこでノウハウを得た先には、独立採算でオンライン上に教室を立ち上げること可能という点である。
そこに登場するのが「コンサル」である。
ただし、そのコンサルが料金に見合うだけのものを提供してくれるのかどうかという保証はない。

養成講座を、これから日本語教師になりたいと思っている人に、勧めることに私は躊躇してしまう。
それは、「無理ゲーなキャリアパス」に誘っていることになるのではないか、と。
もし、信頼できるコンサルがあるとするなら、「希望がチラつくコンサル」もいいのではとさえ思う。
そして、どんな入口から始めたとしても、結局は本人次第。教師志望者であれ、学習者であれ、同じ。
成功を手にする者は、教えてもらおうとするのではなく、自分から学びに行く者である。

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