#50 日本語教師の待遇が低い理由〜経営の視点から〜

「まだわかんねえのかよ!?王政の連中は俺たちを救う気なんかねえんだ!
目をそらして殺されてからじゃ遅いんだよ!」
「そうですよ。今度巨人に襲撃されたら、もう何も残りませんよ。
会社も!家族も!その前に真実を書きましょうよ!」(『進撃の巨人』諫山創 )
「日本語教師の給料は安いけど、どこも同じようなものだ。」
日本語学校に勤務する多くの先生方は、待遇面については半ばあきらめている。
それよりも、「教える」という自らの仕事をより良くすることに心血を注ぐ。
そして、時折、思い出したように学校の方針に不満を抱くが、
その不満を解決する方法については、あまり思いを巡らせたりはしない。
以前の私がまさにそうだった。
より良い授業をすることや教務の円滑な運営が学校の利益につながると思っていた。
その一方で、我々教師の貢献に対する経営者の理解の無さに不満を抱いていた。
さて、私は今、日本語教育・学習サービスの独立採算を実現すべく活動している。
そこでようやく、「日本語教師が低待遇である理由」というものについて、
雇われている教師側ではなく、経営者としての視点から答えを得ることができた。
日本語教師の待遇が低い理由。
それは、日本語教師の仕事が学校の利益を直接生み出す仕事ではないからである。
利益が生まれるのは、学生がお金を支払った瞬間である。
だが、学生は授業を受けてからお金を払うのではない。
ホームページを見たり、口コミを読んだり、説明を聞いたりして、
「この学校で学びたい」と判断し、お金を支払う。
つまり、お金を生み出している直接の活動は、集客、営業、広報、ブランドづくり
などのマーケティング活動なのである。
では、我々教師が提供しているものは何だろうか。
経営者の視点で見ると、それは入学時に契約した教育サービスを提供する部門である。
しかし、そこは利益を直接生み出す部門ではなく、売上を伸ばす部門ではない。
そのため、契約した内容を維持しながら、いかにコストを抑えるかになりやすい。
これが、日本語教師の待遇が改善されにくい大きな理由である。
これを、「作品」と「商品」と「経営」という三つに分けて考えると分かりやすい。
まず、「授業」と「自動車」という、二つの「作品」で比べてみよう。
どちらの「作品」もそこに携わる専門家が心血を注ぐという点では一致している。
ただ、自動車の場合は、作品の質が高いほど、それが顧客獲得を左右するだろうが、
教師の授業は、そこそこの水準にありさえすれば、顧客獲得に影響はでないだろう。
また、どんなに良い自動車「作品」でも、それだけでは「商品」とはならない。
作品が商品として成立するためには、人々に知ってもらい、その価値に気づいてもらい、
買ってもらうところまでを含めて、「作品」は「商品」となり、利益を生むのだ。
そういう視点で、我々教師の「作品」を見るとどうだろうか。
「商」の部分をほとんど担っておらず、「作品」止まりになっているのではないか。
では、「経営」という視点で見たとき、教師の仕事はどこに位置付けられるのだろうか。
私は、その答えは「経営」における「理念」にあると思っている。
利益だけを追求するのであれば、教育は契約どおりに提供されていれば十分である。
だが、「最高の日本語教育・学習環境を提供する」という理念を
経営の中心に据える学校であればどうだろうか。
授業は単なるコストではなく、会社が存在する目的そのものになる。
そうなれば、マーケティングも、マネジメントも、人材育成も、教師への投資も、
すべてその理念を実現するための活動として位置付けられる。
利益は目的ではなく、理念を実現し続けるための手段となる。
残念ながら、私がこれまで所属した日本語教育機関で、
そのような理念を経営の中心に据えていると感じられる学校はなかった。
だからこそ、私は「最高の日本語教育・学習の提供」を理念として
日本語教育「作品」が正当に「商品」として評価されるような、
そんな会社の「経営」を軌道に乗せられるよう、がんばっていきたい。


