#51 JLPT締め切り問題の背景と今後への提言

「だめだ!」「ウォールシーナの壁を全て閉鎖せよ!避難民を何人たりとも入れてはならんぞ!」
「中央政府が機能しなくなる恐れもある。そうなれば終わりだ!」
「我々は最高位の意思決定機関であるぞ!さっさと動かぬか!!!」(『進撃の巨人』諫山創 )
2026年第2回JLPTの申し込みは、受付が開始された3日後の8月27日に締め切られた。
「定員に達した場合は受付期間中でも締め切る」とあるが、あまりにも締め切りが早すぎる。
さらに問題なのは、その8月27日が、2026年第1回JLPTの合否発表日でもあったことだ。
つまり、第1回の合否結果を見てから次の受験を考えた受験者の中には、
結果を確認した時点ですでに第2回試験の申し込みができなくなっていたという事態を招いた。
近年、日本で働く外国人は急速に増加している。それに伴い、JLPTの受験者数は年々増加している。
確かに、旧試験制度と比べたとき、労働者が必要とするN5,N4,N3の受験希望者は増えたのであろう。
だとすれば、その増加に伴う会場と人員の確保が追いつかなくなったのも当然と言えるかもしれない。
ところで、JLPTは、言葉を選ばずに言えば、「時代遅れ」の試験だとされている。
なぜなら、言語能力というものは、言語知識だけでなく、その言語を使って何ができるかが重要だ
という考え方が主流になってきているからだ。
言語知識を測る色合いが強い試験であるJLPTは、その人が持つコミュニケーション能力や、
生活や職場で実際に何ができるかまでは測ることはできない。これは言うまでもない。
にも関わらず、なぜ、未だにJLPTのスコアを求めるところが多いのであろうか。
それは、世の中が「測る」ことを必要としているからである。
JLPTとの絡みでよく引き合いに出されるCEFRだが、CEFRは「何ができるか」を考えるための
枠組みとしては非常に優れているが、CEFRそのものは能力を測る仕組みではない。
CEFRには、「〜ができる」という能力記述(Can-do)が詳細なリストとして並んでいる。
だが、詳細であるが故に、その人の語学レベルを判断したり保証したりすることはできない。
結局、評価するためには、何らかの試験や課題を用意し、「測る」仕組みが必要になる。
だからこそ、世の中は今でもJLPTのような試験を必要としているのである。
ただし、「測る」ということは簡単ではない。
試験で能力を測る以上、受験者全員が同じ条件で受験しなければ意味がない。
つまり、カンニングの防止はもちろん、受験環境を整えることや、
事務手続きや監督体制の保全などに多大なコストがかかる。
一方で、体制が強化されればされるほど、「測る」側の社会的責任も高くなっていく。
すると組織は、責任回避のための管理ばかりを肥大化させ、現場に必要なコストを抑えようとする。
そういった組織として、制度としての歪みが、今回の問題につながっているのではないだろうか。
JLPTの実施スタッフとして関わった経験や、受験者から聞いた試験監督員の不適切な対応からすると、
私にはそう思えてしまう。
つまり、JLPTが時代遅れなのは、試験そのものではなく、
権威ある組織が合格・不合格を決めるという思想であると思っている。
権威ある組織がまるで「お免状」を与えるかのような試験はもう必要ない。
そもそも年に二回しか受験できないという語学試験は、現在の社会に合っていない。
TOEICのように、年間を通して何度でも受験できるようにするべきである。
もちろん、「年に何度も行えるだけの新しい問題は作れない」という反論もあるだろう。
しかし、そもそも、私は言語知識を測る試験に毎回新しい問題が必要なのだろうか。
これまで出題した問題を再び出題したとして、一体何が問題なのだろうか?
見たことがないこだわりが詰まった「なぞなぞ」のような問題など必要ではない。
言語知識など、そのレベルで必要とされる語彙や文法表現を理解できるかどうかが測れれば良い。
つまり、JLPTの合格を「お免状」ではなく「単なる目安」にすれば、いいだけの話しである。
締め切り問題は、昨年も話題になったが、今回はさらにひどい問題を引き起こした。
来年のJLPTはどうなるのだろうか。
真面目に日本語を学んでいる学習者が不利益を受けないようになることを切に願う。

